昭和45年2月21日 朝のご理解
ご理解第53節「信心すれば、目に見えるおかげより目に見えぬおかげが多い。知ったおかげより知らぬおかげが多いぞ。後で考えて、あれもおかげであった、これもおかげであったということがわかるようになる。そうなれば本当の信者じゃ。」
目に見えるおかげ。目に見えるものすべてがおかげ。目に見えないもの。それもおかげと。あれもおかげであった、これもおかげであったということが分かるようになる、そうなれば本当の信者と。そういう心が和賀心だと思うんですね。おかげで、これもおかげである。和賀心をもって、んー信心がわからない、あれもおかげである、これもおかげであるということが、だから。
和賀心という心、天地書附に頂く、生神金光大神天地金乃神一心に願え、おかげは和賀心にありと。ですから、一心に和賀心を願わしてもらうということは、あれもおかげである、これもおかげであるということが分かることになるのであり、知ったおかげよりも、知らぬおかげが多いことも分かっててくる。そこにすべて、いわゆる一切が生かされくると、そういうことになるわけですね。信心すれば目に見えるおかげ、より目に見えぬおかげがある、多いと。知らぬおかげが知ったおかけがより、知らぬおかげが多いぞと。いわゆる、すべてがおかげということになる。
昨日、久留米の櫛原教会で、筑水の、筑水連合会の信徒会がございました。みなさん、とてもたくさんおかげを頂いて今色々、おかげを頂いて帰って見えられ最後に、秋永先生が帰ってみえてから、最近というかね、今合楽の教会ではどういうようなことを、をまあ教えられるかと。どういうようなことが焦点になっておるかと。まあ一口にいうなら、どういうことかと、いうような質問に対して、秋永先生が一言、それに対して答えておられることは、えー「合楽では、一切が神愛ということを説かれます」というて、一言で決まったような感じですね。いわゆるご理解53節がそうです。一切が神愛、一切が神様の、氏子かわいいと思召すそのお心のあら、すべてが表れだとこういうのであります。(?)平田(ヒラタ)さんが、とにかく合楽のもんな大人のいうようなことを言うと、いうふう、言われたということです。合楽のものは、大人がいうようなことをいうと、ね。だから大人とはまだいってない、まあだ、いうなら信心は子供だけれども、言うことは大人のようなことを言うという意味、にも聞こえるわけですけれど、そこで私ともはまあ子供ながらもです、すべてが神愛、合楽で言うておることのすべてをせんじつめてみるとです、なるほど一切が神愛だということ、一切が神愛、そのなかには私ともが痛いかゆいのことから、ね、思うようになることやら、思うようにならんことやら、すべてのことがあるわけ。うれしいこと、悲しいこと。それがです、私共がその、すべてが神様のありがたいおは、お計らいだと、といわば、分かっておるということです。いわば20年間、まあいうならそのことを分からせて頂くために、ご信心の修行をさせてもろうた、ということになるわけです。
そこで、そういう例えば、なら大人の信心と例えばいうならね、平田(ヒラタ)さんが言われる、合楽の人たちは大人のようなことをいうと。ということは、大人になったらどういうことになるだろうか。(?)年寄のようなことをいうということになるかもしれませんね。いや、そうじゃない。まるきり神様のようなことをいう、ということになるのじゃないでしょうかね。子供でありながら大人のようなこという。大人になったら神様のようなことをいう。私はどうでもそこのところが目指さ、れなければならんと思いますね。もう理屈じゃないですね。すべてがおかげであると、これは感じられなければつまらんのですからね。教えられただけじゃいかん。そうかなあと思うとるのでは半信半疑ですもん。そんなことがあるもんかというたら、みんな嘘です。こげな苦しい悲しいことをです、どこをおしゃおかげっていいよるか。ね、だから金光様のご信心はもうどこまでもですね、ほんとに純粋無垢というか、本当に子どものような心というか、ね、言われたら言われたで、それがそのまま素直に受け取れれる心。
秋永(アキナガ)先生たち兄弟が、ここのご造営中にああいう大変な事故が、にあわれました。それから、一週間か十日目くらいだったでしょうか、朝のご祈念のあとに、久富繁雄(ヒサドミシゲオ)さんとこの長男であります国男(クニオ)さんが、お見舞いに行きたいというのである。または、ちょうどあちらの奥さんが、お届けに、はじめて見えられた、日であったと思います。それで、そこで奥さんと今日はどうでも顔をあわせなければならんのである。けれどもその、まあ若いものではありますし、どういう風にあいさつをしてよいやらわからん。「はあちょいと大変なことでしたねー」と、「大変であんなさいましょう」と、「いかがですか、その後」とまあいろいろ言いようがありましょう。けどそのことを真剣に考えたんですね。どんなふうに言うことがだいたい本当だろうかと。一生懸命それでご祈念させていただいた、ところがわからん。そこで、ここにでてまいりましてから、どういう風にあいさつをさせて頂いたらよろしいでしょうか。そしたら天地書附のですね、天地書附の「おかげは和賀心にあり」ということを頂いたです。このところのね、おかげとは、ひらがなで書いてある。ね、生神金光大神も漢字で書いてある、天地金乃神も漢字である。一心に願えも漢字で書いてある。ね、まあなるほど無学の百姓とご自分でもおっしゃるように、たいして学問がおありになったわけではなかった。ですから、まあありとあらゆる漢字を使ってですね、まああてじのような、あの『金光大神覚え』なんて一番分かりますよね。まあいなら当て字のような字ではあるけれどもみんな漢字を使われた。和賀心なんかでも、こういうて風にに全部、漢字、漢字をもって表現をしておられますけれども、そのおかげということだけをひらがなで書いておられる。そのひらがなのところをおかげと書いてある。いわば、みやすう書いてある。ひらがなでね。ね、秋永(アキナガ)先生喜朗(ヨシロウ)さんおばあちゃん、親子兄弟三人のものが死ぬか生きるかというような大事故にあわれて、ようやく十日目か一週間目にはじめて奥さんが、お届けにお礼お届けに見えて、たくさんの人がお祈りをさせて頂いた。そん中にあって、はじめて秋永の人に会う時に、どういうて挨拶をしたらよいかとこういうことである。今いうように、一心に願えおかげは和賀心にありというその、おかげとひらがなで頂いた。こりゃあ難しいことじゃないなと私は思う。ね、それで「国男さん、この度は大変なおかげを受けられました」といってご挨拶をしなさいと私は申しました。この度は大変なおかげを頂かれてと。みやすいでしょう。そしてこれはもう実際に絶対間違いのないことなんですから。
普通からいうならば、死ぬか生きるかというような大変なしかも親子兄弟、でそういう事故にあわれたというのに、大変なことであった、というのが普通でしょうけれどもです、ね、いうなら、信心すれば目に見えるおかげより目に見えぬおかげがわかるようになるとです、ね、それがおかげであるということがわかる。どういう挨拶をさせて頂いたらよいか、もう大変なことでしたねと、いうのは普通一般。信心で私共が言わせて頂くことは、大変なおかげ、うけら、受けられました、大変なおかげでしたねと。ね、そこに私はいうならば、あいさつが活きてくる。「ちょいと大変なことでしたね、大変なお困りのことでしょう、悲しいことでしょう、苦しいことでしょう」ということはですね、いかにも相手を慰めるようであって、いうならばそれは枯らしてしまうようなことです。それは言葉だけではいけません。もちろん、ね、ほんっとにおかげと分からしてもらう。それは、例えば死んでもそうである。ね、もう死ぬるということは、まあ私ともは一番悲しいことであったり、苦しいことであったりいたしましょう。ことですらがおかげなのである。
この度の、上野(ウエノ)さんのとこのお父さんが亡くなられたという。愛子(アイコ)さんが、そのことの通知を、手紙をけいこ(ケイコ)さんから受けたのに、そのことをすぐ金光様にお届けを申させて頂いたら、大変おかげを受けられましたとおっしゃったそうです。もうそれが愛子(アイコ)さんの、心の中に実感として、大変なおかげであると感じたわけです。とてもただごとじゃないぞと。自分が学院にきておって、しかも一年も足らないうちに両親を亡くすまたは兄弟をなくするといったようなことがおきて、そのことをです、金光様は大変なおかげでありますとおっしゃると同時に、愛子(アイコ)さん自身も、これは大変なおかげだと実感した。またその周囲の人たちがです、学院生をはじめ、学院の先生方も全部がです、大変なおかげという意味のことをみんながいうておられます。はらあ上野愛子(ウエノアイコ)さんといういう人にですね、たいした神様のご期待がかけられておるしるししるしだというて喜んだ。ちょっとおかしいですけれど、心内心、はあ上野愛子(ウエノアイコ)さんに対する神様のご期待が大きいしるしだというて喜んだというてお悔やみをいうたというわけでしょう。そこに一つもいうならば、嘆きとか悲しみとか、それはもちろん嘆きも悲しみもありましょうけれども、嘆き悲しみの中にもです、生き生きとして、すべてが活きてくるおかげがあるわけです。ですから、もうこんなに見やすいことはない。金光様のご信心がんならどげな大けがをしとっても、いやそれが死んでも、はあおかげいただかれましたねといえれることですから、こげんみやすいことはない。誰でんできる。子供でんできる。それはもちろんおかげと感じていえれるというところに信心のけいこがある。だから私は平田(ヒラタ)さんの言われることは名言だったなと思うんです。あいらくの人たちは大人のようなことをいうとこう。いうならばです、どういうことでもです、おかげ頂かれましたと。いえれるんだと。それをおかげだと教え込まれておる。すべてが神愛と教えこまれておる。だからいう。じゃそこでならその実感を問うてみる。本当に心からおかげを頂いてありがたいと思うておるかどうかというところをです、きわめていく。ね、それをなら実感してです、おかげであるとわからせてもらい、神愛であるとわからせていただくと、いう心が和賀心。ね、そう一切がおかげと実感させて頂くその心が神心。神心ということは、神と一体ということなんだ。もう、人間であって人間ではないということになる。いうならば、ね、子供が大人のようなことをいう、なら大人になったらどういうことになるかというと、ね、神様のようなことをいうということになるのです。神様の心を自分の心として、わかったわけです。そこに、いわゆる簡単にひらがなで書かれたおかげという所以があるのだと。このようにみやすい。
そこでみなさん、私がおもわなければならんことは、確かにあいらくの信心は子供だということなんです。ね、わかっちゃおる。けれどもやめられない。これは改まりのことだ。子供ながらわか、ここをあらためにゃということがわかった、あいらくの人たちは。信心しよってこげなことじゃいかんということがわかった。けれどもまだ子供ですからそれを無邪気に繰り返しておるわけです。改まりきってないというとこです。そこで私ともがです、ね、こげ、わかっちゃおるけどやめられないのですから、私とも信心が大人になる、いわは゛力を受けるということがです、受けていくということが、子どものときはできなかったけれど、だんだん大人になって力ができてきたら、ね、それをありがたくやめれるようになったというところにです、改まりの私は姿があると。そこに、いわば信心が成長したということが言える。そのときにはもうすでにあいらくのものはまるきり神様のようなことをいうということになるのじゃないでしょうか。私は53節というのは、そういう大変なみ教えだと思いますね。なるほど、本当の信者じゃと最後にいうておられる、ね、あれもおかげであった、これもおかげであったとわかるようになれば、本当の信者じゃとこう。その本当の信者とはです、例えば、ね、家族中で大事故におうておるということですらがおかげであると。いいや、一年のうちに三つも葬式をださなければならないような、人間の一番悲しいことにであっておるそのことですらがです、これは大変なことだと。それは困ったとことという意味じゃない。これはもう大変な神様の、いよいよ働きが始まったぞと感じられる。金光様が、大変なおかけでありますとおっしゃる。だから私ともはですね、なるほど実感としては、おかげとは言えない、おかげとわかっちゃおれどもおかげとは実感がてきなくてもです、子供だから。けれども、おかげだ、おかげだと自分の心に言い聞かせれる程度の信心はなさらなきゃいけません。ね、他の方が、ね、はあそれは大変なことでしたねと例えば言われても、いいやおかげですがの、とここ、口でだけはいえなきゃならん。ね、例えば泥棒におうたと、災難におうたとするか、はぬれ大変なこつでしたねと、挨拶を受けて、その受け答えにです、いやおかげです、おかげがのと、言えれる信心を頂きたい。それは中身はなくても、それは大人になっていく一つの過程なのですから。はらもう困ったこったのちいうごたるとじゃどんこんされん。
私は昨日、困ったこったのじゃなかばってんから、北野言葉ですもんね、ありゃ困ったこったのちいうとは。ここへんの同じ三井郡でもいわんですもん昔は。たのちはいわん。私はこのたのが一番すかんけん、北野の人たちにいうですよ。もうたのだけはいっちょよめんのち。そうたのち。(笑い)なんともそのいうとがですね、なんかもう私はすかんとです。はあ困ったこと、そうたのち。(笑い)昨日、中村(ナカムラ)さんがお参りにきて、もうあんた、あんたの姿ばみよるともう体全体で悔やみよる感じですばいち私が昨日申しました。私はそげん見えたです。ほんとにですね、体全体で喜ぶとかですね、その喜びよるということはわかるですよ。あんたが顔、顔じゃない、あんたのその姿ばみよるとね、あんた体全体で悔やみよる感じよて私が。もう十四五年も前のこと、あの時分の中村さんところのまだ普請やらさっしゃる前、その当時は一番最高でしたもんね、毎日五百円ずつのお日届があったです。お初穂。それを一年間でしたか、三年間でしたか、つづけ終わられたときにあの御普請の、普請をされるお許しがいただけたんです。毎月ご本部に月参りをさせて頂きました。みんなで奥城にでらしていただきましたら、中村(ナカムラ)さんのことを頂くです。そして、あのキクヨってカタカナだったんです。あの、戸籍にはそうでしょう。今お初穂をみなさんが書いてあるのを見ればわかるように、喜び久しい代とかいて、よと書いてある。これからは、中村喜久代(ナカムラキクヨ)にと頂いた。喜び久しい代。そしたら中村(ナカムラ)さんが言われることにです、「先生、今日が私が例えばこれだけはどうでもこうでも、何年間、これだけのことはさせて頂きたいというてしようと思うて毎日おかげを頂きました、今日がその満願の日だった」と。ほんっとに神様の、そのことにたいしての、まあ中村(ナカムラ)さんもたまがられましたが、私もたまがった。その例えば普通ではできないことの修行が、でき、終わった日にです、キクヨを喜び久しい代にせよと。そしてご理解に、中村(ナカムラ)さん、この喜の字をあんたが失うたらまたくよくよさんですよということでした。喜久代から喜びををとってごらんなさい、くよとなりましょう。だからくよくよさん。いわゆる、まさしく昨日の中村(ナカムラ)さんの姿はくよくよさんだった。これでは中村(ナカムラ)さんおかげは受けられんよ、あんたほかんこた、たとえば歳をとっても参られん、参られんでもかんまん、けれどもです、ね、もう本当に悔やみ事はあんたの場合はこれから先でもいうことはなかつよ。悔やんじゃならんて、喜びをなくしちゃならん、例えばなら喜びをなくしちゃならんというても喜びがいつもこれにあるわけじゃないけれども、ね、例えばうそにでもよいから喜びなさい、ね、うそにでも、不安はない、心配はないというような顔をしときなさいて。それはすべてがおかげだ、すべてが神愛だと、だからというわけなのですよ。これは中村(ナカムラ)さんだけのことじゃないです。人が困った話をするとそうたのちいうちから同調する。それではね、それこそ中村(ナカムラ)さんばっかりは長年やっぱり婦人総代までしてあるから、あいらくに二十年かくらいやっぱ通いなさったから、違うと。ちょいとおばしゃん、困ったことのおこったっち、おかげがのち、例えば中村(ナカムラ)さんが言えれる中村(ナカムラ)さんにならないかんち。ね、それが、いわば大金を積んだ上にも大金をつまして頂いて、おかげでないように見えておったことがおかげであった、あることがだんだんわからせて頂いて、なるほど、教祖様が教えてくださるように親先生が言うてくださるように、すべてが神愛である、すべてがおかげであると、実感できた時に私ともが信心が大人になったとき、いわばここではそれを本当な信者じゃとおっしゃっておられる。それがわかるようになと本当の信者じゃと。その本当の信者になったときこそがです、大人になったときである。もう大人になったときにはです、それこそ神様のようなことが言えれるようになる。
私ともがね、ここんところをもうそれこそぎょしんたんかい、純粋純真、そんな心でですね、そうだとわからにゃいけんです。理屈ぬ、なしに。和賀心を目指すということはです、そういうすべてがおかげと言えれる、または思えれる心なのです。ですから、本当のことが本当としてわかったんです。ね、神様がこのようなおかげをくださっておるのにです、氏子がそれは難儀なことだ、困ったことだともしいうならばです、神様との食い違いができる。そうでしょう。それでは神さまが喜んでくださらんだけでなくて、神様との交流がない。ですから私ともがそこんところをです、おかげと感じさせて頂けるときに、天地との交流が、ね、いよいよ始まるのであり、または交流がたえないのである。いうなら天地との調和。それが私はいうならばほんとの意味においての和賀心である。ね、大調和というようなことを申します。それは、私の心がです、ね、これは人とも物とも事柄ともそこに調和を保つことですけれども、大調和というのはです、天地との調和が保たれるときだと私は思います。いわゆる最高の和賀心なのです。そういう私はおかげをね、頂きたい、またはそれを目指さなければならない。
ほんとにそれをはあそうですねと、わからせいたただくとき、昨日は中村(ナカムラ)さんじゃないですけども、お届けをされとるうちにですね、体全体がよみがえるものを私は感じたです。親先生そうだしたと、いうものです。ほんなこと悔やむだんじゃない。そこからね、いうなら中村(ナカムラ)さんの助かりがありますようにです、私今日ご神前にでらして頂きましたらね、枯芭蕉、芭蕉、芭蕉、枯れた、もう破れて枯れた芭蕉のそれを頂いた。どういうことじゃろうかと思うておったら、今度は蓮の葉の枯れたのを頂いた。レンコンの葉ですね。蓮の葉。私は非常にあれは好きです。芭蕉の葉の枯れたのもすきです。それからレンコンの葉の枯れたのも好きです。センスの向こうにある、あの芭蕉の葉が枯れたままになっておる、はあ見苦しかというが私は楽しんで毎日見よったら、誰かちゃんとボンボロ坊主にきってしまっておる。私の心が活かしておるのです。なるほど青々としてこう茂っておるときも素晴らしいけど、もう枯れてしまって、えー、いうならば、秋の風というか、冬の冷たい風にさらされながら吹いておるのもまた捨てがたい風情がある。蓮の葉の枯れた葉ばっかりを、もう久留米の石井薫(イシイカオル)さんがお花にひきあげたことがいっぺなありました、樺目の時代に。まあなんという、生きた花は一本も使ってない、枯れたものばっかり。そして私は今の教典を開かして頂きましたら、 五十三節と、天地書附を頂きました。そのことなんです。どういうもん、いらんもんのようである、枯れ果てたようなものであってもです、私の心はそれを素晴らしいとみることができる。お花のけいこを本当にきわめていった人は、生きた花だけではない、枯れた花でも素晴らしく生きあげることができるようなものだと、私は今日は感じた。だから、けいこをなさらなければならない。いよいよ自分の心が豊かに、ね、いわゆる情操が豊かになってこなければならない。そこにいらんものもなからなければ、困ったものもないということ。すべてがいかされる、それが信心。いや信心、それが和賀心。和賀心なしではいかされない。そういう意味合いで五十三節をもういっぺん改めて頂きなおして、いわゆる最後にむすんであります、そうなれば本当とは真実と書いてありますが、真実の信者じゃと、ね、その真実の信者、まあ今日のご理解をもっていうならば、子供から大人への成長期にある私共。本気で、ね、大人の信心にならせていただいて、そして神様のようなことが言える私共にならなきゃならんと思うですね、どうぞ。